2012年7月31日火曜日

庚申塔 / 宮ヶ谷戸

願主 高橋源右衛門  施主 村中  文化四年卯年十月日

(月・日)があり、持ち物は宝輪と三股叉、弓と矢。三猿は現状ではありません。
毀損したのかもしれません。台座に乗っていますが、もともとのものかどうか。
バス停そばの石碑群のなかにあります。文化四年は1807年。




2012年7月30日月曜日

庚申塔 / 時坂

(日月 青面金剛 三猿)像   元禄十七 □□

元禄17年は3月13日より年号が宝永に変わる。1704年と、檜原村の庚申塔の中でも古い。
峠道に石碑がひっそりとかたまっている。 だいぶ傷みもはげしい。割れ目に一円玉が挟まっている。








2012年7月28日土曜日

庚申塔 / 上川乗

庚申塔  邑中  安政二年四月良辰

安政二年は1855年。前年より地震が多かったようです。東海、南海、豊予、江戸地震。

「庚申塔には猿がつきもの・・・山王様の召使の猿であるという。・・・三猿スタイルをとるのは・・日光東照宮の彫刻が流行の起源といわれる。初期の庚申には二猿も多い。」五日市の石仏/五日市町郷土館 昭和62年より。



2012年7月27日金曜日

庚申塔 / 夏地

奉造立庚申講諸願成就処  夏地 小沢村中

于時享保十九寅十一月日 (1734年)

村史のリストでは、元は小沢の宝蔵寺にあったとある。
現在は白倉の郷土資料館の階段わきに引っ越し。

「わずか三十年か四十年の前まで、庚申の夜の集まりは大きな行事であった。村でも主だった家々は皆参加して…二か月に一度の会で・・・夜どおし睡らず・・・女や子供にも忘れられぬ印象があった。」柳田國男 「年中行事覚書」昭和25年。









庚申塔 / 事貫

青面 王塔  和田講中  文政五午年三月吉日

 文字塔で、青面金剛(しょうめんこんごう)を青面王と記してある。文政五年午は1822年。

 伝尸(結核)の予防治療を祈っていたところから、三尸も一緒に対処したいと、庚申の夜の崇拝対象となった。



2012年7月24日火曜日

庚申塔 / 笹平

施主 五人 享保三戌天 十月吉日

享保三年戌(いぬ)は1718年。村史では所在地が柏木野となっている。施主5人なのに台座には十人の名が書かれている。組み合わせが違うか、台座の時代が違うのか。

三猿の左右斜め上にはそれぞれ鳥が描かれている。仏龕の中に庚申像があって、かわいらしい。







庚申塔 / 下元郷

奉納庚申供養 願主(村史は施主) 廿九人
寛保三癸亥年七月吉祥日 (村史は癸ぬけ)

  笠付角柱型 六臂ではなくお地蔵様のように二本の手を前で合わせているだけ。 両脇の手を欠いたようにも見えない。
 三猿の左右がそれぞれ横向きになっている。

 寛保三年癸亥(みずのとい)は1743年。祠の中に納まっているので新しく見える。





2012年7月23日月曜日

庚申塔 / 千足

講中十人  宝暦十辰六月吉日

 笠付角柱型の庚申塔です。下部に二猿で、見ざる言わざる?
日月があって、持ち物はよくわかりません。裾の方の重なりが面白い。 立派な笠です。 御霊桧原神社境内。



2012年7月20日金曜日

庚申塔 / 笛吹

想村中 世話人 中村定七 坂本与吉  寛政元己酉年十一月吉日

 像塔で、ローマ法王のような帽子、腰に巻きつけたような衣服。不自然な曲げ方の腕など、ユーモラスだ。台座に三猿が彫られているが、足元にも二猿か三猿がいるように見える。

 想村は惣村? 村史には(想ママ)と なっている。寛政元年己酉(つちのととり)は1789年 寛政の改革、松平定信の頃。
 笛吹(うずしき)は寛文御水帳(土地台帳)1667年には、「うそ吹」と出ている。檜原村史研究 三 昭和52年。




2012年7月18日水曜日

庚申塔 / 笹久保

これまでは文字塔ばかりでしたが、初めての像塔です。

庚申供養塔 笹久保中  宝暦四戌八月吉日

 像塔は古いです。宝暦四年戌(いぬ)は1754年。笹久保地区の貴布祢(きふね)神社境内にあります。一面六臂、上部に日月、剣と法輪、弓と矢を持つ。下部に三猿。向かって左から言わざる、聞かざる、見ざる。










庚申塔 / 湯久保

庚申塔 世話人 湯久保村中 五良左衛門  天保九戊戌年八月吉祥日

 天保九年戊戌(つちのえいぬ)は1838年。湯久保の墓地のそば、おそらくスカイツリーより高い場所と思われる。



2012年7月16日月曜日

庚申塔 / 白倉

庚申 大だけ山入口 願主 橘申吉  慶応二丙寅九月神日

 文字塔で白倉バス停そばにある。大岳神社、大岳山への登口。中里と同じ願主で、1年前の建立。庚申以外の文字は摩滅していて読みにくい。
 そばの暮沼という地区では昭和48年まで年6回(60日に1回)庚申講が行われていて、それ以降は年2回になったと「新石仏散歩」1993たましん地域文化財団にあります。木彫りの庚申像の写真がでています。






庚申塔 / 中里

庚申 願主 橘申吉  慶応三年 

いくつかの廿三夜塔が見つけられません。本日より、庚申へ進みます。

 庚申信仰とは、人の体内に住む三尸(さんし)という虫が庚申(かのえさる)の日に天にのぼり、天帝に人の罪科を告げる。それを阻止するため、その日は身を慎み、眠らず夜を明かす。道教からきているようです。
 文字塔と像塔があります。






2012年7月12日木曜日

廿三夜塔 / 大沢

廿三夜  当邑  安政六歳未九月良辰

大沢会館(旧・観音寺跡)の方へ登る途中に、庚申塔などと共に建っている。安政六年は1959年。軟体動物のような形をしている。




2012年7月11日水曜日

廿三夜塔 / 夏地

廿三夜 夏地組講中 安政四丁巳歳九月吉辰

 小沢地区の夏地にある宝蔵寺の、階段登り口にあります。宝蔵寺は真言宗豊山派、五日市の大悲願寺末。平山氏に縁の深いお寺です。
 安政四年丁巳(ひのとみ)は1857年。同年の4、8、9,、10月に檜原村で廿三夜塔が建てられている。





2012年7月9日月曜日

廿三夜塔 / 湯久保

廿三夜 湯久保講中  安政四丁巳歳八月吉日

 上り坂の道下にあって、ずうっと気づかなかった。廿も独特だし、字が下に行くほど小さいように見えます。
 安政四年丁巳(ひのとみ)は1857年。




2012年7月7日土曜日

廿三夜塔 / 数馬

(梵語)廿三夜 月天子  両組講中
 天保三戊辰年十一月吉日

七月七日を記念して、檜原村で最も美しいと私が思っている二十三夜塔をご紹介します。南谷の最奥、数馬地区。道路から細い道を旧分校の方へ少し登った所にあります。昔は通学路だったとか。
天保三年は1832年で、これも戊辰(つちのえたつ)となっているが、正しくは壬辰(みずのえたつ)。




2012年7月6日金曜日

廿三夜塔 / 下元郷

廿三夜 嘉永三庚戌年三月吉日

嘉永三年庚戌(かのえいぬ)は1850年。江戸の方から入ると、村の入り口あたり。甲州側から見るといちばん下ということになる。
アジサイが咲いたら写真を追加しますね。





2012年7月4日水曜日

廿三夜塔 / 中組

南無得大勢大士  当邑  天保三竜舎戊辰 猛夏良辰

得大勢至菩薩とも少し違う表記。天保三年は1832年で、本当は壬辰(みずのえたつ)。戊辰(つちのえたつ)は戊辰戦争の1868年(明治元年)になる。
竜舎、龍舎は年号の末尾。猛夏は陰暦4月で、初夏。





廿三夜塔 / 中組

廿三夜 当邑講中  安政四巳年四月吉日

中組といっても随分奥の方にある。北谷側のバスの終点の折り返し場。山上にあったお寺の墓地の跡とか。沢山の石塔、石仏が立ち並ぶ。
三の字が流れるように美しい。1859年。





2012年7月3日火曜日

廿三夜塔 / 出畑

廿三夜 講中  文政九戌年八月吉日 

 すっきりとした字で彫られている。道路沿いの石垣上に建っていて、見つけにくかった。月待ちは二十三夜が最も普遍的で、毎月あるいは正月、五、九、十一月に行われるとあるのが多い。
 檜原の二十三夜塔に記されている日付は、八月が一番多く1、7、12月は無い。文政九年は1826年。


2012年7月1日日曜日

廿三夜塔 / 出畑

(月・日) 廿三夜得大勢至大菩薩 文化五辰星五月廿三日 
 側面には 道橋供養 施主 清水源助 ほか二人の名前があります。
 (村史には、清水弥助となっていますが・・・)

 文化五年は1808年で、村史のリストでは二番目に古い二十三夜塔。勢至菩薩は廿三夜の本尊で、大勢至、得大勢至とも表記される。
 日本石仏事典には、佐賀県嬉野町のものには「徳大勢至菩薩」と刻んでいると、あります。