2012年11月30日金曜日

寒念仏塔 / 宮ヶ谷戸

寒念仏

嘉永四亥十二月吉日

上の方が破損していて「念仏」しか残っていない。
村史には「寒念仏」とある。
嘉永五年は1851年。
風土記稿によると、宮ヶ谷戸組は昔、小澤組と称せられ、のち夏地組と宮ヶ谷戸組に分かれた。



2012年11月29日木曜日

寒念仏塔 / 時坂

寒念仏  講中 

天保四癸巳四月吉辰

天保四年癸巳(みずのとみ)は1833年。
風土記稿によれば、時坂は本村上組。





2012年11月28日水曜日

寒念仏塔 / 下元郷

寒念仏  講中

文政九戌年八月吉祥日

現在、上元郷・下元郷という地区名になっているが、新編武蔵國風土記稿に元郷という地名は見当たらない。
本村上組、下組というのがあるが、現在の地区の区割りとは異なっている。




2012年11月26日月曜日

寒念仏塔 / 小岩

寒念仏  講中

文政九癸戌年十二月吉日

癸(みずのと)と彫られているようだが、文政九年は丙(ひのえ)戌(いぬ)にあたる。
講の字の下は埋もれているが、おそらく講中でしょうね。
字が素朴です。 1826年。



2012年11月25日日曜日

寒念仏塔 / 中組

寒念仏供養塔  沢又惣村中

文政元寅十二月如意珠日

如意珠、如意宝珠・・・如意は「意のまま」、孫悟空が持つのは如意棒。
珠、宝珠は願いをかなえてくれる珠で、吉祥日のように、佳き日ということか。

風土記稿には、澤又組の小名として猿江、澤又、日向平が記されている。
いま塔の立つ所は中組となり、藤倉バス停のそば。文政元年は1818年。





寒念仏塔 / 神戸

寒念仏供養  講中 世話人 (八名) 

慶應元乙丑十二月吉日

「八人」とあるように見える。名前が彫られているがカタカナの女性名もある。
村史には乙巳とあるが、丑の間違いか。
ひのはら村神戸(かのと)地区の徳泉寺石段わきの杉の木の元に立つ。




2012年11月23日金曜日

寒念仏塔 / 柏木野

寒念仏   笹野 柏木野 出畑

嘉永五子星十二月良辰

笹野・柏木野・出畑は檜原村の南側の地区。(南谷ともいう)
新編武蔵風土記稿では、笹野は本村下組分に入っている。

嘉永五年は1852年。





2012年11月22日木曜日

寒念仏塔 / 白倉

寒念仏  講中

文政五壬午正月吉辰

道路端にひっそりと立つ寒念仏塔。なかなか美しい。
文政五年壬午(みずのえうま)は、1822年。




2012年11月20日火曜日

寒念仏塔 / 茅倉

寒念仏  当村講中

元治元甲子年一月吉祥日

念仏塔には「南無阿弥陀仏」を刻んだ「六文字名号塔」、「百万遍念仏供養塔」、「千日念仏供養塔」、「経典供養塔」などがみられる。
このあたりでは「寒念仏」が多い。厳しい寒さに耐え、数多く念仏を唱えれば、極楽往生ができると信じられたか。

茅倉はわき道を登った所にある集落で、苗字は、ほぼ吉沢氏。
「寒念仏」と「廿三夜」が並んでいる。







2012年11月19日月曜日

寒念仏塔 / 本宿

寒念仏  講中

文政四巳十二月吉日

寒中三十日間、夜に諸所を巡りながら鉦をたたき念仏を唱える。あるいは堂に集まり和讃、念仏を唱えた。

本宿、吉祥寺下にあります。ユニークな形の石です。
文政四年は1821年。



2012年11月17日土曜日

廿三夜塔 / 茗荷平

二十三夜塔

年紀銘等は読めません。村史のリストにも載っていません。

茗荷平の集落には、今は住んでいる人はいません。以前は他県からも参詣者がありにぎわったという、天照皇大神宮が残っています。
その脇の杉の木の根元に石塔があり、何と彫ってあるか読めなかったのですが、写真に撮ってあとでよく見たら、なんと二十三夜の文字が・・・
側面は苔が生えていて読めません。やはりここにもあったのですね。





2012年11月16日金曜日

百番塔 / 宮ヶ谷戸

(梵字サ) 百番供養  

安永六酉歳八月吉祥日

施主 高橋市良兵衛・・・(他十五名)

梵字は観音の種子、サと思われる。台座に施主の名前が刻まれている。
字体が同じ安永六年の時坂峠の百番塔に酷似している。





2012年11月15日木曜日

百番塔 / 時坂

百番供養  喜兵衛 六兵衛 彦左衛門

安永六丁酉天四月吉祥日

荒削りな石塔。チョウナで削ったままのような。  時坂峠。
安永六年丁酉(ひのととり)は1777年。



2012年11月14日水曜日

百番塔 / 上平

百番塔   安永三甲午天四月吉日

百番の番が「香」のように、下が日になっている。
字は誰が書いたのか。例えば講中の年寄り、あるいは字に覚えのある人、それとも石屋さんに任せたか。それぞれ同じものは無さそうなので、やはり石屋さんではない・・・お坊さんもかなり有力か。
この石塔の文字は、女性の字のようにも見える。安永三年甲午(きのえうま)は1774年。




2012年11月13日火曜日

百番塔 / 白倉

百番供養塔  願主

寛政五癸丑三月日

堂々とした男らしい百番塔です。
文字は可愛らしい。
寛政五年癸丑(みずのとうし)は1793年。




2012年11月12日月曜日

百番塔 / 下川乗

百番塔  清水勘左衛門 (他二名)

明和五年子三月吉日

他二名のうち一人は清水~、もう一人は読み取れません。
石塔はビーンズのような形で、文字の配置が全体的に、御朱印のように見えます。
明和五年は1768年。




2012年11月11日日曜日

百番塔 / 千足

百番供養塔  萱倉村 長兵衛

明和六年四月吉祥日

風土記稿には中里組の小名として、茅倉、千足、中里とでている。1815年頃の調査だが、この石塔の明和六年は1769年。 「萱倉村」と彫られている。
現在、立っているところは千足の柳屋さんの前。聖徳太子やお地蔵様と並んでいる。




2012年11月10日土曜日

百番塔 / 出畑

奉納百番供養塔  施主 清水久右衛門 同弟安五郎

慶応二丙寅五月吉祥日

慶応二年(1866)ですからもうすぐ明治となります。
ちょっとそっくりかえって、格好のいい石塔です。兄弟で立てられたようですね。






2012年11月9日金曜日

百番塔 / 出畑

百番塔  出畑  清水甚兵衛

文政十亥天霜月吉祥日

石塔の下の方がだいぶ埋まっているが、美しい石塔です。百の第一画の横棒が、大きく力強い。
文政十年は1827年。



2012年11月8日木曜日

百番塔 / 出畑

奉納百番供養塔  出畑村 施主  小泉市兵衛盛房

宝暦十二壬午天三月吉祥日

出野組の小名、出畑(イヅハタ) 
宝暦十二年壬午(みずのえうま)は1762年。




2012年11月7日水曜日

百番塔 / 大沢

百番供養  願主 賀右衛門 佐五右門 勘兵衛

宝暦十一辛巳歳六月吉日

新編武蔵國風土記稿にある大澤組の不動堂の跡か。「山ノ中腹ナリ・・・四間餘ノ石階アリ」
斜面の石段脇に危なげに一対の石灯籠。向かって右側は庚申塔。
ひのはら村では最も古い百番塔です。1761年。







2012年11月5日月曜日

百番塔 / 小岩

百番塔  ・・・百番供養塔と彫られていたか・・・

(建立年等不明)

小岩地区。石塔の下部が剥落しているが、字は、はっきりと力強く彫られている。






2012年11月4日日曜日

百番塔 / 神戸

百番供養塔 世話人 勘右衛門 五兵衛  連名・・・(二十名)

丑正月吉祥日 

字体は少し違うところもありますが、彫りがはっきりしていて、同じ神戸(かのと)集落の寛政五年と似ている。寛政五年(1793年)も丑年。
村史では建立年は不明となっています。




百番塔 / 事貫

百番塔  天明二寅年八月吉祥日

事貫(ことづら)集落の、街道から川の方へ下りたところに、苔むした石塔がいくつかあります。百番塔は雷でも落ちたかのように損壊し、ひびがはいっています。
それでもなにか・・・美しさを感じます。
天明二年は1782年。





2012年11月2日金曜日

百番塔 / 柏木野

百番塔 坂本幸八  (他四名)

文化四卯年四月十有四日

ジャンケンのグーのような形の百番塔。庚申像ともう一つの百番塔と、三つ並んで立っている。




2012年11月1日木曜日

百番塔 / 柏木野

奉修 坂東 西国 秩父供養塔

施主 吉村九右衛門  慶應二年寅九月吉日

彫りが細く、文字も多いため読み取りにくいが、
わりあい新しい幕末の百番塔。1866年。







百番塔 / 神戸

四国百番供養  施主 坂本伝兵衛 妻 津袮 嶋崎勘右衛門  同苗 勘兵衛

寛政五年丑三月日

坂本さんと奥さんのツネさん。嶋崎さんは親子か兄弟、親戚か。四人で巡拝達成したのは、四国八十八か所と、西国三十三、坂東三十三、秩父三十四の計188か所ということでしょか。
数だと一番ですね。彫りがはっきりとして力強い。神戸(かのと)地区。寛政五年は1793年。