2013年6月10日月曜日

奪衣婆 / 夏地

奪衣婆(だつえば)像

村史のリストには宝暦としか載ってないが、「檜原村の石仏」第二集には、
宝暦三癸酉年孟冬とある。

また、俗称「サードの婆さん」とでている。
宝蔵寺境内で子供たちが野球で遊ぶ時、ちょうどこの像がサードの位置になっていたか。
現在は、ほかの石碑などと一緒に小堂内にならんでいる。

宝暦三年(みずのと・とり)は1753年。孟冬は十月の異称。
奪衣婆は三途の川のほとりで、渡し賃を持たない亡者の衣をはぎ取った。閻魔大王の妻とも言われている。




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