2014年10月29日水曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

享和二壬戌年

新屋立之

 「棡原の石造物」には、石塔などの所有者・管理者の記載がある。
地域名もあれば個人名もある。それをたよりに探していると、「その方はもう亡くなっているけど、若い人がいますよ」と教えてもらった。
 訪ねて行くとお嫁さんらしき方が出てこられ、「うちです」と言って案内していただいた。お子さんも、何だろうとついて来る。
 急斜面のふちにどっしりとした廿三夜塔が地蔵(寛政九年)とともに建っている。先日の台風で土が崩れかかり、前面はブルーシートがかけてある。もし崩れていたら私が見る事は出来なかったかもしれない。
 棡原の新屋地区。享和二年は1802年。






山梨県・上野原市棡原

○ 廿三夜

干時明治五壬申九月二十三日建立之

施主小伏組遠藤治兵衛

山梨県上野原市棡原の小伏地区の神庭(かんにゃ)集落。

小さな集落だが宝珠庵という寺の入口に、沢山の地蔵や三界万霊塔がある。
すぐ近くに白山神社もある。

道路からすこし上がった所のお宅の方に尋ねると、下の家のあたりにあったかもしれないと教えていただく。
今は住まれていない大きな家の裏に回る。馬頭観音が見える。二十三夜は一瞬ないかと思ったが、よく見ると草の中に横になっている石がある。夜という字が見えた!





2014年10月28日火曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

嘉永元申年 四月吉日

棡原でも高台で檜原村に近い地区、日原には二つの二十三夜塔がある。。
人家の多い方にある文政二年の塔は2メートル近い大きなものだが、こちらはやや小ぶりの嘉永元年、1848年。
集落をどんどん奥まで登って行くと、愛宕神社がある。その先で山道にはいる辺りにひっそりと建っていた。
隣は養蚕神と彫られている。





2014年10月26日日曜日

山梨県・上野原市棡原

二十三夜塔

文政七申年

猪丸 月日

 旧小学校のそばで,、通りかかった人に教えられた家を訪ねると、中学生くらいの女の子が
「あります!」と言って教えてくれた。
 そのお宅の庭先に、割れてしまった庚申塔などと寄り添って、遠くを眺め月の出を待っているかのよう。

文政七年は1824年。






2014年10月24日金曜日

山梨県・上野原市棡原

 (正面)南無観世音菩薩
      享保二十一 
      丙辰仲春月

(向かって右側面)
     大■至菩薩
     

おそらく向かって左側面に
     秩父西国坂東百ヶ所同行
     西村拾人 椿村桐坪拾人か

棡原、猪丸地区椿。「棡原の石造物」には納経供養塔とある。
不動堂そばの石塔群の左端。右から2番目は既出の「廿参夜地蔵」
廿三夜塔ではないが、大聖至菩薩とあるので参考までに。

享保21年は1736年。








 

2014年10月7日火曜日

山梨県・上野原市棡原

廿三夜

文化八辛未天

村講中

沢渡地区の威王院の道際にある。
近くに道しるべを兼ねた納経供養塔があり、
右かづま小河内道 左りさいはら
と彫られているらしい。磨滅して読み取りにくいが。